矢沢永吉の歴史〜苦境を乗り越えよう〜

みなさん

おはようございます。

こんにちは。

こんばんは。

 

今日はタイトルにもある通り、矢沢永吉さんについて書いてみようと思います。

ここではあえて、親しみと敬意の意を込めて、" 永ちゃん "と呼ばせて頂きます。 

 

永ちゃんさんは言わずと知れたロック界の大スター。

誰からみても、" 成功者 "ですよね。

 

永ちゃんは有名な歴史でいうと、日本人ロックシンガーとして始めて、日本武道館でライブをした方。

また日本武道館最多公演記録を保持している、超すごいお方なのです。

 

そんな永ちゃんにも、過去には苦労した経験があります。

 

例えば、永ちゃんは小学生時代、超極貧生活を送っていたのです。

母は3歳のときに家出をし、父は小学2年生で逝去。

そのため親戚中をたらい回しにされていたという過去があります。

 

近所の裕福な家の子どもからは

「お前ん家は貧乏でケーキなんて買えないだろう!」

とケーキを顔面に投げつけれらることも。

 

そんなとき永ちゃんはこう思ったそう。

 

BIGになってやる!

 

すでに永ちゃん節が出ていますね。

そんなこんなで大人になってからは、80年代に大ブレークを果たします。

そんな永ちゃんでも、ここからずっと順風満帆というわけにはいきません。

 

1998年、事件は起こります。

なんと、友人に裏切られて35億円もの借金を背負うことになるのです。

 

経緯はこう。

友人とオーストラリアのゴールドコースト音楽学校やスタジオを建てる事業を進めていました。

友人は1人は金融、1人は不動産に詳しい人。

永ちゃんは心から信頼していた2人に事業を託すことにします。

 

しかし友人2人は、永ちゃんには嘘の報告書を出しながら、全く関係のないことにお金をつぎ込んでしまいます。

その結果永ちゃんに残ったものが、35億円の借金。

 

さすがの永ちゃんも、この時ばかりはがっくりと肩を落とします。

 

「35億円だから。ギブアップですよね。普通、もう立ち上がれないじゃないですか。」

「髪の毛抜けながら、過呼吸の手前になるくらいまで、精神的にそりゃ、なるじゃないですか。はめたヤツが許せない。」

「自分に対しても悔しかったし。」

 

 

そりゃそうなりますよね。

信頼している友人に騙されて、35億円もの大借金を背負うことになるんです。

僕にはその苦しみが想像もつきません。

 

そんな時、奥様からこんな言葉がかけられます。

 

「人を恨んでいても解決しないってことよ。自分も二つ目の穴に落ちるよ。全部許してあげて。それが自分のためだから。」

 

 

もちろん言われた時は" なんでだ! "と腑に落ちなかったそう。

しかしこの言葉が段々と永ちゃんの中に染み渡り、再起を果たしたのです。

 

なんとその後、永ちゃんは35億円の借金を約6年で完済します。

後にこんな言葉を残します。

 

「あの事件のおかげで、今の自分があると思います。

本当は金が欲しかったわけじゃないってことも分かった。

幸せとは何ぞや。謎が解けたんですよ。

俺には音楽がある。俺にはコレがある!

と思えることが、幸せなんですよ」

 

 

あの事件のおかげで、なんて言えませんよね、普通。

でも永ちゃんはそういうのです。

苦しみの中に成長があったのです。

 

僕はよく、苦しいなと思った時には永ちゃんのことを思い出します。

僕の苦労なんかよりも何万、何億倍も苦境に立っていた永ちゃん。

永ちゃんだから、で終わらせるのではなく、同じ人間なんだから自分にできないわけはない。

そう思って乗り越えたいと思います^^